またもや車椅子(障がい者)の問題を力技で訴えることが起きたようだ
このようなことが事業者の合理的配慮が義務化されたことによる
弊害にならないといいのだが
何故に彼らのような合理的配慮の押し付けをするものが
後を絶たないのだろう
配慮することを押し付けられれば反発を生むのは
分かりそうなものなのだが
それすら理解できないほど追いつめられてしまっているのだろうか
出来ることとできないことの区別はつくと思うのだが
それを差別とする背景には何があるのだろう
合理的配慮の中には障害者を神様とすることなどあろうはずもないのに
なぜ彼らはそれを無理強いするやり方を取るのだろう
それらの無理強い行為は一種のテロ行為と捉えられてしまうことは
想像に難くない
ただただ分断を煽っているに過ぎない事は想像して欲しいものである