『参与はあくまでアドバイザー
権限もないし好き勝手言う言論の自由を保障されている』
そんな擁護をした参与経験者がいたという
それって擁護になっていないと思うのだが
好き勝手言う言論の自由は当然あっても良い
がしかしその擁護の中にある「アドバイザー」としての役割は
権限はなくとも
〇か×かと問われ△の政府に対して
〇なり×なりのどちらかを優先すべきかを
数字なりなんなりを踏まえて助言する役割だと思うのだが
そこで先の「さざ波」という表現が
今後の感染対策やオリンピックの開催にどう影響するのか
分かりそうなものだがそこがわからないのは
なぜなのだろうか
「木を見て森を見ず」とはこの事か
目先の数字に囚われて
感染対策で我慢をしている人たちの努力を見ず
さざ波と表現
数字だけを見ているからそんな表現になるのだろう
感染予防をしている者たちの努力なんてこれっぽっちも
頭になくその努力を無に帰すような考えは到底アドバイザーには
向いていないのではないのだろうか
事このコロナに関しては彼らのような数字だけしか見ていない
人間には先を見越すことはできないのだろうと思う
感染対策をしているのは数字ではなく人である