先の車椅子問題において
この手の話で
なぜ不快に思ってしまうのか理解できる記事を見た
「恩恵(←言葉が適切か不明)」ではなく「権利」という主張が
そう思わせるという事だ
前にも書いたが
「障害はハンデ」という思いは
批判や非難ではなくこれは個人で思う事であるが
これに対して配慮は必要と考えている
しかしながら彼らは
「その配慮は同然の権利だ」と
声高に主張しているからだった
彼らにとってそれが『当然の権利』であったのだとしたら
配慮する側の立場の人間も
その配慮が出来る出来ない(可能不可能)
を『選択できる権利』はあるはずだ
それであるがゆえに
『障害を盾に攻撃をしてくる者たち』
(配慮することが強要・強制になっている)
と認識することに繋がっているのだと納得のいく記事だった
(実際の記事内容は障害者側の立場で語られていた)
お互いがお互い権利だと主張すれば対立は起きる
「障害者に対して配慮するのは当然です」とするのは
配慮する側であってされる側ではないと思っている
それを彼ら自身が「配慮は当然の権利だ」と主張し
配慮できない事情など考えず
それは権利侵害だとして攻撃的に主張することによって
対立していると思わずにいられない
そしてそんな人たちとは関わり合いになりたくないと
思わずにはいられない
『義務を果たさず権利だけを主張している』
そう見えてしまうから
今回の問題提起されてる方や
今回見た記事は
強弁的に権利を主張しているのではなく
そう思わせる出来事が幾度となく繰り返されるので
『合理的配慮が世の中に広まればいいな』
という問題提起のようだった