タレントにしても政治家にしても聖人君主など
いようはずもなく誰だって人に言えない後ろめたいことはある
それを鑑みても今も昔も自分のことを棚に上げ
他者に対して批判を繰り返す彼ら
そしていざ自分のその後ろめたいことが発覚すると
説明責任だ云々と批判していたにもかかわらず
批判していた相手と同じ態度にでる
公の立場を利用して金品をくすねた議員
法的償いはしたがまたその立場になるというのは
いかがなものかとずっと思っている
不倫騒動での批判もセンテンスがいい例で
他者に対して批判はすれども自分は
悪びれることもなくそれと同じことをする
その良いイメージの裏切り批判に対し
勝手にそういうイメージを持ったのは受け手側だと
責任転嫁をするその仲間たち
その良いイメージで売り出しているのはそちらだろう
その理論でいえば詐欺師の
「騙されるほうが悪い」
ということになるのではないのか?
バッシングの強さはその売り手のイメージ操作の
反動が大きければ大きいほど
強くなるということではないのだろうか
その彼らに対し
公共のタレント活動に対してバッシングはあっても仕方ないし
政治家の立場を利用して不正を行ったものは
再度同じ立場にしてはダメだろう
全ては裏切られたという思いからバッシングしてるということだと
思っている